油井城跡

所在地:兵庫県篠山市油井
別名:尾の上城
築城年:天文年間(1532~54)
築城主:酒井幸貞
廃城年:天正七年(1579年)
主な城主:酒井佐渡守重貞・秀正
遺構:郭・堀切
指定文化財:なし
訪城日:2018年3月4日(金)晴
主郭までの所要時間:麓から約20分
駐車場:なし

油井城は、天文年間(1532~54)に、酒井佐渡守幸貞が築城したとされます。城主の酒井氏は承久の乱(一二二一年)によく戦ったほうびとして、酒井兵衛次郎正親が将軍からの多紀郡酒井庄をもらって住んだのが始まりで、年々勢力を拡大し南矢代城、大沢城、禄庄城、高仙寺城、栗栖野城など支城を構え南丹波に勢力を誇りました。しかし、波多野氏が勢力を拡大すると共に、酒井一族は、その傘下に属し勢力を誇っていました。天正七年(1579年)、明智光秀の丹波侵攻軍に酒井氏一党は攻められ、最後の城主秀正の籠もる本拠油井城も攻撃を受けた。油井城は天然の要害を駆使した山城で秀正は明智勢と激闘し勇敢に戦ったが、城兵は全て討死にし酒井秀正も敵兵に囲まれ壮絶な最期を遂げた。『日本城郭大系12参照』

ここから直登したいと思います。

結構な急坂ですが、拓けているので登り易くはあります。

郭下方にある石積み?



虎口か?

土塁

この頂上が主郭です。

主郭

主郭にある酒井上野介秀正(氏盛)供養塔









二の丸

堀切
IMG_2018.jpg
石積み?自然岩かな?

自然岩?上の柵平地

三の丸


油井城跡へのアクセス
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南山城跡

所在地:兵庫県篠山市辻
別名:
築城年:応永年間(1394~1427年)
築城主:波々伯部光尚
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:波々伯部光尚
遺構:郭・土塁・堀・堀切・竪堀・説明板
指定文化財:なし
訪城日:2018年3月4日(金)晴
主郭までの所要時間:麓から約15分
駐車場:大仙寺

南山城は、波々伯部氏の祖為光の子、次郎左衛門尉光朝の次子光尚が、嵐四郎と称して応永年間に築城しました。
波々伯部氏一族は、淀山城を中心に東山城、畑市城、垣屋城(西紀)に拠って当時の丹波の守護山名、細川、更に波多野氏に属して勢力の保持に努めて活躍しました。「現地案内板より」

大仙寺の登り口左手に細道があるのでそこを20m程進むと説明板があり登城口があります。

登城口

説明板

説明板の縄張り図

登城口

防獣柵の扉を開けて中に入ります。

下屋敷跡

竪堀みたいな所を登って行きます。







虎口

主郭

説明板

主郭土塁及び石積み?

堀切

竪堀


南山城跡へのアクセス
大仙寺を目指すといいでしょう。

土居の内

所在地:兵庫県篠山市大渕
別名:大淵古館
築城年:室町時代
築城主:畑左近允能綱・畑弾正守広
廃城年:
主な城主:畑氏
遺構:郭・土塁・堀・説明板
指定文化財:市指定文化財・県指定史跡
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:すぐ
駐車場:なし

土居とは、土塁のことで、土居の内は、堀の内とも言い、中世のころの国人武士とか名主等の居宅で、堀と土塁のほか林や薮等に囲まれています。ここは、東西約54メートル、南北約47メートルの敷地に高さ約1.8メートル、底幅約5メートルの土塁が方形に屋敷を囲み、南側に幅約7メートルの堀跡が残り、東側は畑川が堀の代わりをしています。
古書によると「天正のころ、畑左近允能綱・同弾正守広等の住居」と記されています。市内では、ここだけにしか残っていない貴重な遺構です。
『土居の内跡案内板』より







説明板












土居の内へのアクセス
     

東山城跡

所在地:兵庫県篠山市辻
別名:
築城年:大永年間(1521~27)
築城主:波々伯部光興
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:波々伯部光興・光久
遺構:郭・土塁・堀・堀切・竪堀・説明板
指定文化財:なし
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:麓から約25分
駐車場:なし

東山城は波々伯部氏の一族が山城、摂津、丹波を結ぶ要衝の地に大永年間(1521〜1527)に築城したものです。
築いたのは波々伯部次郎左衛門尉光則の支族である民部丞光郷の子、兵庫助光興といわれ、その子光久は更に東山城を堅固な城郭として再築するなど、一族繁栄して郡内屈指の一大勢力を形成していました。。
城跡の主郭は、山頂の平坦部にある30m×35mの楕円形の曲輪です。東側の尾根を堀切、北と東にそれぞれ二つの郭が残り、土塁の一部が残っています。
また、南側の尾根上には、六段の郭が階段状に伸びています。東側の尾根には、馬駈場の跡が残っていて、東南麓には馬場寺跡や弘長寺跡が残ります。(現地説明板より)


案内板

登城口

防獣柵を開けて登ります。

竪堀

郭Ⅰ

郭Ⅱ

郭Ⅲ

郭Ⅳ

郭Ⅴ

主郭

土塁

主郭からの景観


東山城跡へのアクセス

淀山城跡

所在地:兵庫県篠山市辻
別名:波々伯部(ほほかべ)城
築城年:1331年(元弘元年)
築城主:波々伯部為光
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:波々伯部氏
遺構:郭・井戸・土塁・堀切・竪堀・説明板
指定文化財:なし
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:麓から約15分
駐車場:なし


淀山城の築城時期は不明ですが一説に1331年(元弘元年) に波々伯部為光が築城したと伝わります。
波々伯部氏は丹波の古い豪族で、元弘3年/正慶2年(1333年)反幕府の兵を挙げた足利尊氏に従います。尊氏が九州に逃れたのちは、丹波守護に任じられた仁木頼章の麾下に属して各地を転戦し活躍しますが戦死します。その後は光朝が領主となり、山名氏、細川氏に仕えます。天正年間(1573~92)の城主は六兵衛光吉で波多野氏の麾下でした。八上城落城直前に城を抜け出して帰農しました。そしてその子光広は「波々伯部」を「波部」姓に改め酒の醸造を始め大いに繁盛したという伝承があります。
(日本城郭大系12など参照)

登城口

案内板

案内板左手方向にある電気柵をを外して中に入ります。しばらく歩くと一つ目の井戸郭です。

井戸跡

井戸跡から池のそばを通り二つ目の井戸郭に向かいます。

途中には竪堀

井戸郭

井戸


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堀切

二の郭

二の郭



主郭

案内板

主郭からの景観

顕彰碑


淀山城跡へのアクセス

飛の山城跡

所在地:兵庫県篠山市岡屋
別名:岡屋城
築城年:永禄年間(1560年頃)
築城主:渋谷氏秀、氏昌
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:渋谷氏
遺構:案内板
指定文化財:なし
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:麓から約5分
駐車場:新たんば荘駐車場利用

飛の山城は、永禄年間(1558~70)に波多野氏の重臣渋谷氏秀、氏昌らにより築城されました。八上城の支城として存在していましたが、天正六年(1578)明智光秀の丹波攻めの際、激しく防戦したが落城した。 慶長13年(1608年)八上城に代わる現在の篠山城が築かれる際の候補地の一つとなった。














飛の山城跡へのアクセス

吹出城跡

所在地:兵庫県篠山市東吹
別名:
築城年:不明
築城主:不明
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:不明
遺構:堀切・土塁・郭
指定文化財:なし
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:麓から約5分
駐車場:なし


ここから登城します。



土塁

土塁

主郭




吹出城へのアクセス

吹城跡

所在地:兵庫県篠山市東吹
別名:東吹城
築城年:不明
築城主:不明
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:井関氏
遺構:堀切・土塁・郭
指定文化財:なし
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:麓から約15分
駐車場:なし

吹城は、東城山の標高289mの山に築かれている。『丹波志』によると、城主は波多野氏被官の井関氏であったという。中央やや西南寄りに堀切があり、その下方に下水の配水槽がある。そしてこの部分から東北の郭群と南西の郭群に大別され東北の一帯が中心部である。この中心部も二分されている。天正六年(1578年)の明智光秀の丹波攻略の際に落城しています。


この道を進みます。

しばらく行くと大堀切のような所に出くわすので、左手に登って下さい。



上下水施設

上下水道施設の右手側から裏側に進みます。


IMG_1901.jpg
堀切

本郭にある東城山の表示板

本郭




吹城跡へのアクセス

板井城跡

所在地:兵庫県篠山市上板井
別名:不明
築城年:応安4年(1371年)頃
築城主:山名氏清
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:山名小太郎
遺構:堀切・土塁・郭
指定文化財:なし
訪城日:2017年12月1日(金)晴
所要時間:麓から約10分
駐車場:なし

板井城は、応安4年(1371年)頃 、丹波国の守護であった山名氏清によって築城したと伝わります。その後、守護の交代で、細川頼元が支配。永正5年(1508)ごろには、波多野氏が八上城に拠って支配していましたが、明智光秀の丹波攻めにより天正六年(1578年)に落城します。

登城口

堀切

堀切

主郭

土塁

麓の天満神社




板井城跡へのアクセス

佐畿山城跡

所在地:兵庫県篠山市大沢
別名:
築城年:不明
築城主:不明
廃城年:天正六年(1578年)
主な城主:杉本与衛門
遺構:案内板
指定文化財:なし
訪城日:2017年9月4日(月)晴
所要時間:麓から約5分
駐車場:公民館前に駐車

佐畿山城跡は大沢城主酒井勘九郎の家老杉本与衛門の城で南東方山頂の禄庄城の出城機能をもつ、北側から北西方面の展望がよく吹城、網掛向城、西吹城、西古佐小屋床(住吉台団地造成により消滅)など諸城が見渡せ大沢城の死角をカバーした城である。『現地案内板より』

登城口

案内板

山頂

山頂からの展望


佐畿山城跡ヘのアクセス
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播磨河内守

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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。