荒井構居跡

所在地:兵庫県高砂市荒井町御旅1丁目 八幡神社
築城年:嘉吉年間
築城主:杉岡烈滋(祐利)
主な城主:杉岡烈滋(祐利)
廃城年;不明
遺構:なし
駐車場:なし
訪城日:2013年1月8日

嘉吉の乱の時、荒井村構主杉岡蔵人烈滋は赤松満祐に従ったという。(「播陽諸大家系譜」)

八幡神社

荒井村標碑


荒井構居跡へのアクセス
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北脇構居跡

所在地: 兵庫県高砂市北浜町北脇(西法寺)
築城年:南北朝時代
築城主:不明
主な城主:大塩次郎景範・景元
廃城年:不明
遺構:なし
駐車場:なし
訪城日:2012年12月29日

西法寺境内1500㎡が北脇構居の遺構と伝えられている。
北脇構居の城主は大塩次郎景範とその息子である景元と伝えられ、山名氏の播磨に攻めに対し、赤松の幕下として武功を立てたという。天正六年(1578)には城主次郎左衛門とその息子の小六は、別所氏の幕下として三木城に籠城したが、討ち死にしたと伝えられている。(日本城郭大系12巻)
大塩次郎景範、景範の長男刑部介景元これを領す。正平の頃なり大塩次郎左衛門、同小六、天正の頃に領す。別所の幕下。
(印南郡誌)

西法寺

西法寺本殿

北濱村道路標碑


北脇構居跡へのアクセス

魚崎構居跡

所在地:兵庫県高砂市竜山
築城年:室町時代
築城主:和木田兵庫介綱忠
主な城主:和木田綱忠・位田長兵衛
廃城年:不明
遺構:なし
駐車場:あり
訪城日:2012年12月29日

魚崎構居があった竜山は古代から砕石場である。主郭は頂上部に削平地があるのみである。削平地からは付近全域を一望することができる。
城主は嘉吉元年(1441)には和木田兵庫介綱忠であったが、その後は天正六年(1578)には志方の属城として放棄されるまでは位田(依田)長兵衛が構主であったという。 (日本城郭大系12巻より)
位田長兵衛天正の頃に領す。志方の幕下也(印南郡誌)
石の宝殿の戦い
三木城に陣取った秀吉の下には新しい領主へ従うという者が数多く詰め掛けた。ところが石の宝殿(生石神社)は所領を没収されながらも従わなかった。石の宝殿の社人は神吉城主神吉頼定の弟で東村氏を名乗り勇敢だったという。秀吉の神吉城攻めの折、ここに陣地を築きたいと申し入れたが断られた経緯があり、秀吉は「一番に石の宝殿を悉く焼き払え』と弟秀長を大将に一千余騎が攻めた。麓には家老の布村左金吾ら多くの城兵が住んでいたが秀吉勢は四方に火を掛け一気に攻め不意を付かれた城兵は逃げ散った。風に煽られた火は宮殿などすべてを焼き尽くしたという。(別所一族の興亡より)

加茂御祖(かもみおや)神社

空鉢塚と芭蕉句碑

登城途中にある観濤處(かんとうしょ)

観濤處(かんとうしょ)説明碑

頂上の主郭部

特に案内板、城跡碑等なく削平地があるくらいです。

魚崎構居跡へのアクセス

中筋構居跡

所在地:兵庫県高砂市伊保町中筋
別名:久里山城・白矢城
築城年:南北朝時代
築城主:不明
主な城主:曾根藤四郎
駐車場:時光寺参拝者用
訪城日:2012年12月22日

構居跡に関しては、時光寺の東側に中筋構居があったそうです。
曾根籐四郎について
文和4年(1355年)の神南合戦に巧妙があったという。
末裔の藤市(一)郎の時、三木城主別所氏の幕下として秀吉に攻撃され天正6年(1578年)に落城したという。
城跡は中筋4丁目にある願正寺に東側に「出垣内」「馬洗」「池田」の呼称を有する田地がある。かつて「出垣内」の北方から東へかけて一本の土田があり、土手の上に幅10mばかりの田地とその脇にう小道、その前方200m付近に久里山城という丘があった。(日本城郭大系12巻より)
曾根藤四郎義宗、天正の頃之を領す。別所の幕下なり(印南郡誌)

時光寺山門

時光寺略縁記

時光寺本殿



中筋構居跡へのアクセス

成井構居跡

所在地:兵庫県加古川市志方町成井
築城年:不明
築城主:不明
主な城主:大西氏
廃城年:不明
訪城年:2014年5月31日

成井集落北にある墓地に「成井城主大西修理太祐」の供養碑がある(日本城郭大系12より)



案内板


成井構居跡へのアクセス



蓮光坊構居跡

所在地:加古川市志方町横大路(妙正寺)
築城年:不明
築城主:不明
主な城主:不明
廃城年:不明
訪城日:2014年5月31日

羽柴秀吉が志方攻めの際、短期間使用した陣所ではないかと思われます。


本殿

櫓風の建物


蓮光坊構居跡へのアクセス







宗佐構居跡

所在地:兵庫県加古川市八幡町宗佐
築城年:不明
築城主:佐用教政か大坪対馬守
主な城主:佐用教政、上原兵庫頭祐光
廃城年:天正六年(1578)
訪城日:2014年5月31日

宗佐構居は佐用修理判官刑部少輔教政が築城した、あるいは大坪対馬守が築城したともいわれている。のちの城主上原兵庫頭祐光が天正六年(1578)に別所長治に属し、羽柴秀吉らと交戦して、落城した。 (日本城郭大系12より)
『播州古城蹟集録』では、城の規模を、長五十間 横三十間としている。

地元の宗佐町内会によりますと、今ノーリツになっているところですが、昔は小高い丘で「宗佐構居」とか「宗佐城」と呼ばれたお城があった場所です。文字どおりお城の区画だったので「城の内」という字になったのでしょう。としています。



宗佐交差点の南西側で、平成16年に、加古川市が発掘調査を行なっていますが何も出なかったそうです。

宗佐構居跡へのアクセス




加古川陣屋跡

所在地:兵庫県加古川市加古川町寺家
建造:宝暦2年(1752)
城主:?
訪城日:2014年5月31日

公開はされていないので、門の外側から撮影しました。


加古川陣屋跡案内板


加古川宿陣屋跡へのアクセス



平津構居跡

所在地: 兵庫県加古川市米田町平津
築城年:不明
築城主:不明
主な城主:石原三郎成澄
廃城年:不明
駐車場:なし
訪城日:2012年11月1日

城主は石原三郎成澄 その他は、詳細不明です。


平津構居跡標柱


平津構居跡へのアクセス




砂部構居跡

所在地: 兵庫県加古川市東神吉町砂部(大歳神社)
築城年:不明
築城主:不明
主な城主:不明
廃城年:不明
駐車場:なし
訪城日:2012年11月1日

詳細はわかりません。


砂部構居跡標柱
P1000761.jpg

砂部構居跡へのアクセス






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