丸山城跡

所在地:兵庫県西宮市山口町金仙寺
築城主:山口五郎左衛門時角
城郭構造:山城
訪城日:2014年4月6日


戦国時代、多田源氏の一族である山口五郎左衛門時角が築城したといわれている。
永禄元年(1558年)ころの山口氏は伊丹城(伊丹市)の荒木村重に属していたが、永禄7年(1564年)、蒲公英城(神戸市)の城主松原貞利の奇襲により滅亡、以後、松原氏が支配するところとなった。その後の天正6年(1578年)、播磨国への侵攻を企図して転戦していた織田信長の中国攻めの軍により落城したと伝えられる。
城跡には丸山稲荷神社が建っている。稲荷神社はかつての本丸跡であり、遺構としては、北、東、西の三方向に張り出した、数段の段築の施された浅い曲輪(くるわ)が確認できる。また、丸山ダム(金仙寺湖)から徒歩で登ることができる。

登城口にある鳥居
DSC02300.jpg
丸山稲荷神社
DSC02308.jpg
丸山稲荷神社由緒板
DSC02303.jpg
本丸跡にある奥社
DSC02304.jpg
丸山稲荷神社奥社諸由緒
DSC02307.jpg
丸山城跡石碑
DSC02305.jpg
DSC02306.jpg
丸山城跡からの眺望
DSC02310.jpg

丸山城跡へのアクセス
スポンサーサイト



三蔵山城跡

所在地:兵庫県宝塚市下佐曽利
別名:佐曾利城
築城年:天正年間(1573~92年)初期頃
築城主:尼子家臣山中氏(伝承)、佐曾利筑前守
主な城主:佐曾利筑前守
廃城年:不明
訪城日:2014年4月6日

最初は織田信長に抵抗していましたが、味方が次々に開城するので、子息の六之丞重元を中川清秀の陣に伺候させて降伏した。左曽利氏はその後も長く中川氏に仕えた。

登城するには、藪漕ぎとかなりの斜面を直登しなければなりません(登城時間約50分)なので登城は諦め遠目より撮影いたしました。削平地、堀切、土塁、また主郭はかなり広いみたいです。



三蔵山城跡へのアクセス

平重盛之城館

所在地:兵庫県西宮市小松南町2丁目2(岡太神社)
駐車場:不明
訪城日:2013年2月3日

平 重盛(たいら の しげもり)は、平安時代末期の武将・公卿。平清盛の嫡男。
保元・平治の乱で若き武将として父・清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身に伴って累進していき、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した。嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や徳子とは母が異なり有力な外戚の庇護はなく、正室が藤原成親の妹・経子であったため、成親失脚後は一門のなかでは孤立気味であった。政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあった。清盛の後継者として期待されながらも、清盛と後白河法皇の対立では有効な対策を取ることができないまま、父に先立ち病没した。
六波羅小松第に居を構えていたことから、小松殿ないし小松内大臣とも、またその邸宅に48の灯籠(灯篭)を建てていたことから灯籠大臣とも称された。

狛犬ではなく、災害を静止(しし)する猪像
P1010658.jpg
静止像説明板
P1010659.jpg
平重盛供養塔
P1010654.jpg
白山大神
P1010657.jpg
白山大神由諸
P1010656.jpg
岡太神社社殿
P1010660.jpg

平重盛之城館へのアクセス





今津砲台跡

所在地:兵庫県西宮市今津真砂町
駐車場:有料駐車場
訪城日:2013年2月3日

砲台は当時の今津港入口東側に設置。砲台そのものは円形で直径17メートル、高さ12メートル。外部は花崗岩の石積、内部は木造3層。砂地への建設であったため、千本を越える松杭を打ち込み、その上に瀬戸内海中部の島々から運んだ花崗岩を積み上げた。場所は現在の西宮市今津真砂町。

文久3年(1863年)に工事が始まり慶応2年(1866年)に完成した。大正4年(1915年)に民間に砲台が払い下げられ、石を取る為に壊された。現在の石碑はその残石から出来ている。その石碑は阪神大震災前には今津大東町の福應神社に設置されていた。
P1010648.jpg
石碑と案内板
P1010647.jpg
案内板
P1010645.jpg

今津砲台跡へのアクセス





西宮砲台跡

所在地:兵庫県西宮市西波止町5374
駐車場:有料駐車場あり
訪門日:2013年2月3日

江戸時代のおわり、国防に不安を感じた江戸幕府は、京都を警護する要地にあたる大阪湾に砲台を築きました。その工事は、文久三年(1863)から慶応二年(1866)まで続き、あしかけ4年間も続きました。
土堤でかこった中央部に、松クイを1000本以上も打ち込んで基礎とし、カコウ岩の大岩を組み上げています。本体には砲眼11個と窓1個が穿たれ、大砲で四方をねらうことができました。実際には使われることなく、明治時代をむかえました。 『西宮砲台跡案内板』より

幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂の時代に大坂湾の海防のために、和田岬砲台、舞子砲台などと共に建設された。竣工は慶応2年(1866年)。外郭は御影石による三層構造、内部構造は木造と見られている。内部には砲身冷却用の井戸も設置されていた。

1884年(明治17年)火災により木造構造物を焼失しており、内部に入ることはできない。1922年国の史跡に指定され、「史蹟西宮砲台」の標柱設置。1978年内部を鉄骨で補強、天井を設置するなどの改修作業実施。

裏手の堤防に張られていた案内板
P1010640.jpg
海側からの砲台
P1010641.jpg
西宮砲台案内板
P1010642.jpg
海を背にして撮影
P1010644.jpg

西宮砲台跡へのアクセス

瓦林城跡

所在地:兵庫県西宮市日野町、瓦林町(日野神社)
別名:河原林城
築城年:建武3年(1336年)
築城主:貴志五郎四郎義氏
主な城主:瓦林政頼、瓦林三河守
廃城年:元亀元年(1570年)
遺構:城跡碑
駐車場:なし
訪城日:2012年12月25日

瓦林城の文献の初見は、「貴志義氏軍忠申書」に記載されている建武3年(1336年)4月13日「楯籠瓦林城郭、云々」というのがある。赤松則村の家臣貴志義氏によって築城された。足利尊氏が九州から上陸を阻止する役目だと思われる。同年5月25日、湊川の戦いで香下寺城および円生寺城から南朝軍が来攻したのでこれらと戦った。その後、しばらく瓦林城という名前は古文書類から姿が無くなる。
次に登場するのは瓦林政頼の時代である。瓦林城は瓦林政頼の居城となっていたが、越水城を築城すると同時に居城を越水城に移し、以後越水城の支城になったと思われる。
最後は、瓦林政頼の子孫と思われている瓦林三河守である。織田信長方についていた瓦林三河守であったが、元亀元年(1570年)9月28日篠原長房より不意打ちにあい、防御施設が乏しかった瓦林城は一挙に攻め立てられ、106名が討ち死、その中女性や子供も20名程度おり、瓦林氏はこの時を最後に滅んでしまったと言われている。尚、この戦いは越水城ではなかったかという説もある。

P1010279.jpg
瓦林城跡碑
P1010273.jpg
日野神社の社殿
P1010275.jpg
日野神社境内
P1010278.jpg
日野神社にある由緒板
P1010276.jpg

瓦林城跡へのアクセス
阪急電車 神戸線 西宮北口駅徒歩15分



越水城跡

所在地:兵庫県西宮市越水町(大社小学校に碑あり)、桜谷町、清水町、満池谷町
別名:小清水城
築城年:永正13年(1516年)
築城主:瓦林政頼
主な城主:瓦林政頼、三好長慶、篠原長房
廃城年:元亀元年(1570年)
遺構:石碑・案内板
駐車場:なし
訪城日:2012年12月25日

目の前の小高い丘は観応2年(1351)足利尊氏と弟直義が戦った小清水の陣所跡で、瓦林正頼は永正13年(1516)ここに越水城を築城しました。いまの町名では城山・桜谷・満池谷・清水の4町にまたがり、その広さは南北約200m・東西約100mで小清水城あるいは越水城といわれていました。ここは西国街道の要衝で、城にかかせぬ水にも恵まれた築城の適地でした。  
この城は、一説には天守閣もあり外堀を備え、人びとを住まわせた西宮には、城下町のようなふんに気があり、「おおよそ目を驚かす風情」で、摂津では他に例がなかったようです。応仁の乱に始まる戦国時代初期、城主正頼は細川氏の内紛に高国方につき、四国より京にのぼる澄元を迎えうって敗れ、その上澄元に内通したとして切腹、死後澄元の家臣三好氏が入城しました。天文2年(1533)には瓦林と一向一揆が三好を攻めて城をうばい返し、瓦林の一族が城を守りますが、さらに攻防を繰り返されて、ついに畿内の覇者三好長慶の居城となり、彼は家臣松永久秀を京に止めて越水城で指揮をとりました。  
永禄9年(1566)時の城主四国阿波の篠原長房は、瓦林三河守に攻められ、一旦開城しますが4日後に復活、9月には足利義親(のちの足利幕府14代將軍義栄)が入城しましたが、11年に織田信長の入洛により、越水城の戦略的価値が消えました。それから330年を経た明治29年(1896)12月、この城跡に大社尋常小学校の新校舎が建ち、中村地区から移転した3学級210名の児童が勉強を始めました。深い緑の木立につつまれた新しい学校は、大阪湾をへだてて摂津・河内・和泉や紀伊の山やまを望む素晴らしい環境に恵まれた学校でした。しかし、時代と共に発展する大社村(昭和8年4月西宮市に合併)の小学校としては狭くなり、大正7年(1918)11月現在地に移りました。最早越水城は遠い思い出ですが、戦国の世以来こんこんと清水が湧き、城や地名のもととなった3ヶ所の泉こそ越水城を語りつぐ証人として大切に保護したいものです。(現地説明板より)
P1010272.jpg
越水城跡案内板
P1010270.jpg
越水城跡石碑
P1010267.jpg

越水城跡へのアクセス





         
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

総訪問者数

プロフィール

播磨河内守

Author:播磨河内守
なんとなく城跡巡りへようこそ!

○写真などの無断転載を禁止します。
○相互リンク募集中です。リンクはフリーです。
○当ブログの掲載内容につきまして参考資料などを見て掲載はしていますが、情報が古かったり、間違っていたりするかもしれません。ご容赦願います。
○掲載内容について不備等御座いましたらご指摘いただけたら幸いです。

開閉式カテゴリ一覧

人気ランキングに参加しています。

撮影機種

2017年3月よりEOS M5で撮影しています。