土佐泊城

所在地::徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦
別名:なし
築城年:天文年間(1532年 - 1555年)
築城主:森元村
廃城年:1586年(天正14年)
城主:森元村、森村春
遺構:なし
訪城日:2016年3月5日
所要時間:南海病院敷地内から車やバイクで松瀬山頂上に行けます。

天文年間(1532年 - 1555年)に、名東郡黒田村から板野郡土佐泊(現鳴門市)に移った森元村によって築城された。土佐泊城は紀伊水道と瀬戸内海の入口を抑える要衝だった。森氏は強大な水軍を持っており、細川氏、三好氏、蜂須賀氏の歴代阿波領主から重用された。1582年、土佐の長宗我部元親が侵攻した際は、阿波、讃岐の殆どの城が長宗我部方に落ちた中で、落城せず持ちこたえた。森氏は阿波に入部した蜂須賀家政から福井庄など3026石を拝領し、1586年(天正14年)椿泊に移った。

潮明寺裏側にあるここの階段から回り込めば古城へ登城出来そうな感じですがちょっと勇気が無かったです。

松瀬山の新城は広場みたいになってます。


城跡とは関係ないですが、潮明寺にある紀貫之歌碑。
『年ころを住みし所の名にしおへはきよる波をもあわれとぞ見る』と書いてあるそうです。


土佐泊城へのアクセス
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小海山城跡

所在地:香川県小豆郡土庄町小海
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月12日

城史については詳細不明

北側登城口
見た感じ直登ぽいです。きつそうなのでやめました。

大坂城残石記念公園にある説明板

残石

修羅とロクロ

説明板


小海城山城跡へのアクセス







小海山城跡へのアクセス

城山城跡

所在地:香川県小豆郡小豆島町池田
別名:池田城
築城年:南北朝時代
築城主:須佐美紀伊守基世
城主:須佐美氏
廃城年:不明
訪城日:2014年9月12日

須佐美氏は南朝方として星ヶ城を居城とした佐々木信胤に従いっていたが、弘安年間(1278年~1288年)あるいは貞和3年・正平2年(1347年)に須佐美氏は土庄の高橋氏を梨木峠に襲った。高橋氏は辛うじて逃れたが、須佐美氏が高橋氏の城館を焼き払ったため、高橋氏は島外へ逃れ、肥後から薩摩へと移っていったという。

麓にある池田の桟敷

池田の桟敷説明板



城山登城口

城山城説明板


頂上付近にある城山神社

頂上付近からの景観

二十四の瞳ロケ地記念石碑


城山城へのアクセス

皇踏山城跡

所在地:香川県小豆郡土庄町淵崎
築城年:南北朝時代
築城主:不明
城主:不明
遺構:石塁、空堀、土塁等
廃城年:不明
訪城日:2014年9月12日

城史についての詳細は不明。古代の山城なのか、中世の山城なのか謎の多い山城です。皇踏山城は小豆島の西端に近い標高393.7mの山城です。南北朝時代、南朝方として小豆島に挙兵した佐々木信胤の星ヶ城の西方の出城であると考えられている。しかし、これを具体的に証明する文献が無く、遺構のうえからも両者に共通点は認められません。

野外活動センターの芝生広場より登る事15分ぐらいの場所なのですが頭上で黒い動物が走り去るの見ました。
ちょっとして熊?猪?どちらにせよちょっと怖いのでここで引き返しました。


皇踏山城跡へのアクセス
登城口は滝宮地区にある土庄町野外活動センターよりハイキングコースがあり、駐車場があります。

高見山城跡

所在地:香川県小豆郡土庄町
築城年:南北朝期
築城主:高橋伊豆守入道存孝
城主:高橋氏
廃城年:不明
遺構:石塁・郭
訪城日:2014年9月12日

貞和3年・正平2年(1347年)高橋左衛門太夫は妻子を伴い草壁の妻方を訪ねた際、梨木峠を通行していたとき、池田の地頭須佐美氏がこの機をうかがい、梨木峠に兵を伏せて襲撃、妻子はその場で討たれた。高橋氏はその場を逃れたが須佐美氏に城館を焼き払われたため、肥後へ落ちていった。

高見山森林公園案内図
展望広場まで登ります。


主郭


主郭からの展望


高見山城跡へのアクセス

津山藩陣屋跡

所在地:香川県小豆島郡土庄町
築城年:天保九年(1838)
築城主:津山藩
城主:?
廃城年:明治二年
遺構:説明板
訪城日2014年9月12日

小豆島は、幕末時代(元和元年から)天領として大坂奉行の支配下にあったが、後天保九年(1838)に西部の六郷(土庄・渕崎・上庄・肥土山・小海・池田)は、天領から津山藩領に移された。ここに、津山藩の代官所が置かれ、明治二年版籍奉還までの間、代官が常駐して行政上の大抵のことはここで処理された。村人は、ここを陣屋と呼んだ。陣屋の庭の樹齢二百年の老松は、陣屋に残る唯一のものとして「陣屋の松」と親しまれていたが、近年惜しくも枯死してしまった。なお、小学校の背部の「牢舎」の地名は、その旧跡を物語っている。(現地説明板を引用)

陣屋説明板



陣屋跡へのアクセス

高壺城跡

所在地:香川県小豆郡土庄町渕崎
築城年:不明
築城主:不明
城主:佐々木信胤
廃城年:不明
遺構:不明
訪城日:2014年9月12日

高壺城は標高159.0mの高壺山山頂に築かれている。詳細不明

與九郎稲荷神社の先から細い舗装路があります。少し不安でしたが行けるとこまで愛車のバイクで登りましたが、かなりの傾斜で道幅は狭くかなりの悪路で、引き返すことも出来ずやばいと思った瞬間左側に転倒。起すのに一苦労し腰が砕けそうになりました。引き返そうとUターンし少し下った所って、少し安心して停車しようとした時、タイヤがズズズとすべり今度は右側に転倒。最悪でした。なので、登城していません。

麓にある與九郎稲荷神社

高壺城跡遠景


高壺城跡へのアクセス
麓の神社より徒歩で登った方が安全です。無線中継塔まで続いています。





星ヶ城跡

所在地:香川県小豆島町大字安田字険阻山
築城年:暦応2年(延元4年、1339年)
築城主:佐々木三郎左衛門尉信胤
城主:佐々木三郎左衛門尉飽浦信胤
遺構:郭・空堀・土塁・石塁・鍛冶場・郭・井戸・狼煙台等
廃城年:不明
訪城日:2014年9月12日

星ヶ城山(ほしがじょうさん、ほしがじょう)は、瀬戸内海中央部、小豆島町(旧・内海町)の中央東部にある標高817m(東峰)の山。西峰と東峰からなり、西側に日本三大渓谷美の一つ寒霞渓(三笠山)を有します。
星ヶ城は天険の要害を利用した城で、西峰を本城、東峰を詰の城とする堅個な守りを持つ山城でした。
南北朝時代に、南朝方の佐々木三郎左衛門尉飽浦信胤により築城した星ヶ城址、星ヶ城神社がある。 東西の両峰には、空壕、鍛冶場、水ノ手曲輪、烽火台などの跡が発見されています。

星ヶ城園地にある案内図

星ヶ城説明板

道なりに5分ほど登って行くと間もなく案内板が見えてきます。

城跡案内板

ルートを確認し、まずは左手の東峰の方へ進みます。少し歩くと左手に人口井戸があります。
深さは5.5mで、ほぼ2.5m平方の広さがあります。雨水などを貯水して緊急時に備えたものと考えられます。

舟形遺構
長さ6m、幅3メートルの舟形に板状の石が散乱している。石類を築く為の石の採取場所と推定されています。

井戸跡
真夏でも水が涸れた事が無い自然湧水を利用した井戸

東峰の阿豆枳神社
工事されているようなので近づけませんでした。

祭祀遺構

狼煙台

東出隅

西峰に向かうことにします。
西峰の阿豆枳神社

阿豆枳神社由緒板

土壇

外空壕

下の空壕

居館跡

居館跡説明板

鍛冶場跡

鍛冶場跡説明板


星ヶ城跡へのアクセス
寒霞渓山頂駅から遊歩道が整備されていますが、寒霞渓道路より星ヶ城園地に向かう方が時間短縮にはなります。

佐々木信胤廟

所在地:香川県小豆郡小豆島町安田(玉姫神社内)
訪問日:2014年9月12日

飽浦 信胤(あくら のぶたね、生没年不詳)は、南北朝時代の武将。本姓は佐々木で、佐々木信胤、佐々木三郎左衛門、佐々木薩摩とも呼ばれる。
備前国児島郡飽浦を本拠とした豪族で、細川定禅の家臣として足利尊氏に味方して活動。備中国征討や京都での戦い等で功を挙げる。
お才の局を巡る私情から高師秋との確執を起こし、南朝:延元4年/北朝:暦応2年(1339年)頃、南朝方に寝返った。後に細川師氏の家臣となり、小豆島肥土荘を得た。南朝:正平17年/北朝:康安2年、貞治元年(1362年)の細川清氏と細川頼之の戦いである白峰合戦に参加した以降の消息は不明である。


佐々木信胤の歴史説明板


佐々木信胤へのアクセス

お妻の局社

所在地:香川県小豆郡小豆島町安田
訪問日:2014年9月12日

お妻の局は、南北朝時代、京洛三美人の一人といわれ、菊亭中納言家の女房であったが、備前国児島郡飽浦の城主佐々木三郎左衛門尉信胤に恋われ信胤の元に身を寄せ、延元四年(一三三九年)信胤とともに小豆島に渡った。
星ヶ城に本拠を築いた信胤は有力な水軍をもって南朝のために功をあげ、日常生活の居館をこの地〈安田下條〉に営んだと伝えられ、このあたりを城ノ藪と呼び、星ヶ城の下に位置することから下城(現下條)と称し、「城まわり」「城のはな」などの地名が残り、「城」「城上」の姓がある。
正平二年(一三四七年)北朝軍の細川師氏が、大軍を率いて小豆島に攻め寄せ、信胤軍は必死に反撃したが島の至る所で激戦となり、ついに一か月後の六月三日力尽き降参した。このとき、妻子眷属は皆安田城ノ藪において自刃したと伝えられる。このお妻の局社は、安田農協の東側の畑中にお妻の局の墓として祀られていた五輪塔を移転し、お妻の局の霊を祀ったものである。安田地区に踊り継がれている「安田踊り」は、お妻の局と信胤の悲恋をうたいあげた優雅な踊りで、香川県の無形民俗文化財に指定されている。
平成十三年十二月 建立 安田自治会(現地説明板より引用)

説明板


お妻の局社へのアクセス
JA安田支店の道路を挟んですぐ前、安田自治会館の敷地内にあります。
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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。