鍋子城跡

所在地:兵庫県赤穂市東有年谷口
別名:大鷹山城・谷口城・中山城
築城年:不明
築城主:不明
城主:岡氏・小河氏・小河氏
廃城年:不明
遺構:堀・城跡碑
訪城日:2014年年10月29日

鍋子城は、標高147mの大鷹山にある。いつ誰によって創築されたかは明らかでない。天正年間に岡豊前守が在城したが、その後、小河丹後守が在城、またその後は赤松氏の家臣冨田右京が五ー六町川上の八幡山に城を築いて居住したと『播磨鑑』に書かれている。

登城口

しばらく歩くと廃家があります。

土橋と堀

石垣


主郭と城跡碑


主郭からの景観


鍋子城へのアクセス
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高野須城跡

所在地:兵庫県赤穂市有年横尾荒山
築城年:天正年間(1573~92)
築城主:高島右馬介正澄
城主:高島氏
廃城年:石垣
訪城日:2014年10月26日

高野須城は赤穂市有年横尾と相生市雨内の境にあたる荒山にあったとされる。城主は高島右馬介正澄で上月城の赤松政範の叔父にあたります。羽柴秀吉が上月城を攻めた時、赤松政範と共に籠もり戦死した。

登城口

ここを渡って登ります。

途中の鉄塔下


頂上には反射板があります。残念ながらここで身体的に限界なので断念して降りる事にしましたが、後200mほどで城跡だったみたいで少々悔いが残りました。

高野須城跡へのアクセス
県道457号線の池手前のカーブミラーの所が登城口です。

有年山城跡

所在地:兵庫県赤穂市東有年
別名:大鷹山城・八幡山城・有年城
築城年:不明
築城主:不明
城主:本郷掃部守直頼・富田(戸田)弾正右京・小川丹波守秀春
遺構:郭・堀・城跡碑
訪城日:2014年10月26日

本郷家の祖、本郷掃部守直頼(赤松信濃守範資の三男)が貞和年間(1345~1350)に城主となり、その後、富田右京が入城、1543年に浦上宗景に攻められ落城したとされる。

登城口の八幡神社

登城途中の風景

主郭

城跡碑

主郭からの景観


有年山城跡へのアクセス

白石城跡

所在地:兵庫県相生市若狭野町下土井
築城年:貞和6年(1350年)
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年10年26日

元弘二年(1332)後醍醐天皇が隠岐に遷行の際、ご駐輦になった場所と言われこの名がつけられたという。この辺りは字名を政所敷とか中ハサミと呼ばれ、その昔政務所があったと考えられ城もこのあたりにあったと思われる。



白石城跡へのアクセス

感状山城跡

所在地:兵庫県相生市矢野町瓜生・森
別名:瓜生城・下原山城
築城年:
築城主:
城主:岡氏・赤松氏
廃城年:天正5年(1577年)
遺構:曲輪・石垣・案内板・城跡碑など
訪城日:2014年10月26日

感状山城が築かれたれた時代は、『播磨古城記』『岡城記』などによると,鎌倉時代(1192年~1333年)に瓜生左衛門尉が築いたとする説と、建武3年(1336年)赤松円心の三男赤松則祐(そくゆう)が築いたとする説があります。   建武年間(1334年~1336年)、足利尊氏の追討をしていた新田義貞の率いる軍勢を赤松円心の三男則祐が奮戦し50余日にわたり足止めをした結果、足利尊氏の反撃の機会を与えることとなったことは歴史上有名です。この功績により足利尊氏が,赤松則祐に感状を与えたことから感状山と呼ばれるようになったといわれています。  感状山城は総石垣による曲輪の構えから考えると,当初からのものではなく、後世に手を加えたもので、戦国時代(1467年~1568年)にこの周辺を支配した宇喜多(浮田)氏の手によって改修されたものではないかという説もあります。

感状山城跡登城口

物見岩

物見岩からの景観

倉庫跡

Ⅲ曲輪跡


南曲輪群

帯曲輪

南Ⅱ曲輪

景観

北Ⅱ曲輪

石垣
DSC04310.jpg
Ⅰ曲輪


出曲輪

感状山城案内板


感状山城跡へのアクセス
羅漢の里を目指して下さい。

下土井城跡

所在地:兵庫県相生市若狭野町下土井
別名:下土居城、岡城、太田林山城
築城年:文永4年(1267年)
築城主:岡豊前守
城主:岡氏
廃城年:不明
遺構:郭・土塁:堀切・堅堀
訪城日:2014年10月26日

下土井城は文永四年(1267)、岡豊後守が築城し、以来12代続いた慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦に於いて宇喜多秀家に従ったため、宇喜多家没落後、十二代光顕は八洞村に閉居した。

こちらの牛舎より登城しました。

この柵を開けて中へ入ります。

堅堀

主郭


土塁



下土井城跡へのアクセス
中郷バス停前の民家の間にセメント段の登り口もあるようです。

森城跡

所在地:兵庫県相生市矢野町森
別名:飯野山城
築城年:大永年間(1521~28)
築城主:赤松政秀
城主:赤松氏
廃城年:不明
遺構:不明
訪城日:2014年10月26日

森城についての城史は詳細不明です。城主は赤松下野守村秀という。その子政秀は天文元年(1532年)にこの城から龍野城に移ったといわれる。

森加圧所裏手からフェンス沿いに行くと扉があり直登ぎみではありますが、登城出来ます。

主郭



森城跡へのアクセス

矢野城跡

所在地:兵庫県相生市矢野町森
別名:矢野山城・藤堂山城
築城年:文和年間(1352-56)
築城主:赤松彦五郎則実?
城主:赤松氏
廃城年:不明
遺構:不明
訪城日:2014年10月26日

矢野城の歴史については詳細不明です。





矢野城跡へのアクセス

坂越茶臼山城

所在地:兵庫県赤穂市坂越
別名:茶臼山砦
築城年:嘉吉年間(1441年~1444年)
築城主:山名持豊(宗全)
城主:山名氏・赤松氏
廃城年:不明
遺構:城跡碑・説明碑
訪城日:2014年10月18日

茶臼山城は、嘉吉年間(1441年~1444年)山名持豊によって築かれた。嘉吉の変(1441)に赤松氏を攻め落した山名持豊がしばらくここに居たとされている。

主郭

主郭からの展望


和田備後守範長公一族五霊位の墓所

案内板


坂越茶臼山城へのアクセス

坂越浦城跡

所在地:兵庫県赤穂市坂越
別名:坂越浦砦・坂越城
築城年:室町時代
築城主:山名持豊
城主:湯浅氏・山名氏・赤松村秀
廃城年:不明
遺構:石垣・城跡碑・案内碑
訪城日:2014年10月18日

坂越浦城は、「坂越浦砦」または「坂越城」とも呼ばれ、室町時代に播磨地方を支配していた山名氏が築いたと言われています。その後、龍野城主である「赤松下野守村秀」の通城(かよいじろ)となり、坂越を支配したと言われています。
江戸時代には、この展望台の前の小高い場所に赤穂藩の御番所が置かれ、坂越浦に出入りする船の監視をしていました。
『坂越浦城跡案内板より』

本丸

石垣

本丸からの展望


坂越浦城跡ヘノアクセス
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