上月城跡

所在地:兵庫県佐用郡佐用町上月
別名:なし
築城年:延元元年(1336年)
築城主:上月景盛
廃城年:天正6年(1578年)
主な城主:上月氏、赤松氏、尼子勝久
遺構:土塁・石垣・空堀
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:無料駐車場あり

概要
上月城は、延元元年(1336年)、赤松氏の一族・上月景盛によって築かれた。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱により、赤松満祐に加担した上月景則やその甥・上月景家らが幕府軍の追討を受け、上月氏の嫡流は滅亡。
以後、山名氏・赤松氏の攻防が繰り広げられ、弘治3年(1557年)、赤松氏から一門の赤松政元が置塩城から入城した。その子・赤松政範は、佐用・赤穂・揖東・揖西・宍粟の五郡を領し、「西播磨殿」と呼ばれたが、天正5年(1577年)、織田信長の武将羽柴秀吉の攻撃を受け、落城した。その後は宇喜多直家に属していた上月景貞が入城するも同じく秀吉の攻撃と配下の江原親次の謀反によって落城し、尼子勝久ら尼子党が入った。翌天正6年(1578年)、毛利輝元が率いる大軍に囲まれ、救援の羽柴秀吉も三木城攻略のため撤退、孤立した尼子勝久は毛利氏に降服し自害した。この時、山中幸盛(鹿介)も捕らえられ備後国鞆に移送途中、備中国高梁で誅殺された。その後、上月城は廃城となった。
現在は土塁・石垣・空堀などの遺構が残る他、本丸に赤松氏の供養塔、麓には尼子氏の供養塔が残されている。









登城道入り口

堀切

堀切

曲輪

主郭

上月合戦説明版

赤松政範之碑







遠望



二郭

利神城を望む



曲輪

曲輪

堀切

二郭

麓にある尼子勝久公四百年追悼碑

麓にある山中鹿之介碑


上月城跡へのアクセス

仁位山城跡

所在地:兵庫県佐用郡佐用町仁位
別名:仁井の陣山
築城年:天正5年(1577年)
築城主:安藤信濃守
廃城年:天正5年(1577年)
主な城主:安藤信濃守
遺構:曲輪、土塁、横堀、竪堀
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:頂上付近にあり

概要
仁位山城は、羽柴秀吉が上月城を攻めた際にこの陣山が拠点となり付城造って、安藤信濃守が守っていたとされています。しかし本城は、本丸のほかにに出城とみるべきものを持ち複雑な形の竪堀を持っており本格的な城郭が造られていたともみえる。羽柴軍が高倉山を本拠として付城を造り上月城包囲攻略をしていった様子がうかがえる。『日本城郭大系12』参照


柵を開けて登城します。(必ず閉めて下さい)



頂上付近の駐車スペース

西端の高台(残念ながら登っていません)



曲輪

ため池跡

曲輪

曲輪









竪堀





畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群

畝状竪堀群


仁位山城跡へのアクセス

浅瀬山城跡

所在地:兵庫県佐用郡上月町下秋里
別名:広山城
築城年:天文年間(1532年~1535年)
築城主:孝橋季時
廃城年:天正5年(1577年)
主な城主:孝橋氏、岡田氏
遺構:曲輪、石垣、狼煙場跡
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:笹ヶ丘公園駐車場

概要
浅瀬山城は天文年間(1532-55)に赤松円心(則村)の九代の孫孝橋新五郎季時が築城したといわれている(『赤松家播備作城記』)。その後、岡田市越智通隆が居住したともいわれ(『播磨古城記』)、また天正年間(1573-92)の頃は間島左馬助が城代として居城したともいわれている(『赤松家播備作城記』)。
天正五年(1577年)に上月城を攻略した羽柴秀吉軍が毛利方の援軍を追って秋里谷に迫った際、浅瀬山城主上月権正恒織は城から撃って出、羽柴勢の側面をついたのだったが、結果恒織は討ち死にし、城は落城し、以後は廃城となった。
『日本城郭体系12』参照





狼煙場跡

狼煙場跡

狼煙場跡

頂上手前



本丸

景観


浅瀬山城跡ヘのアクセス
笹ヶ丘公園を目指してください。

飯野山城跡

所在地:兵庫県佐用郡佐用町円光寺字平谷
別名:なし
築城年:建長年間(1249年~1256年)
築城主:間島景能
廃城年:不明
主な城主:間島氏、太田氏
遺構:堀切
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:なし

概要
飯野山城は、嘉応年間(1169年~1171年)に吉屋八郎宗達が築城したと云われていますが、建長年間(1249年~1256年)には赤松則景の子間嶋彦太郎景能が新たに築城した。以降間島(太田)一族が居城しました。嘉吉の乱(1441年)の時、間島新三郎は城山城にて討ち死にし間島氏は一旦滅亡して、飯野山城も廃城となります。


大避神社鳥居

登り口の柵は鹿よけゲートですので開けたら閉めましょう。



大避神社

神社右側から城跡に行きます

この様な岩場を登って行きます。(行かれる方は十分気を付けて下さい)



空堀

郭跡

石積(祠の跡か?)



主郭手前の郭



主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭から先に進みます




飯野山城跡へのアクセス

千草城跡

所在地:兵庫県宍粟市千種町黒土
別名:石原城・千草山城
築城年:不明
築城主:不明
城主:石原勘解由光時
廃城年:天正8年(1570年)
遺構:なし
訪城日:2014年10月4日

千草城については詳細不明です。現在、五社神社が建っています。
戦国時代、宇野氏の家臣石原氏が居城としていたが、秀吉によって攻め落とされる。


麓にある千草城石碑

五社神社へはごちらから登ります。

登城口

五社神社社殿


千種城跡へのアクセス

栗尾城跡

所在地::兵庫県宍粟市千種町西山岩蕗
築城年:正平16年(1361年)
築城主:赤松貞範
城主:別所(赤松)大蔵小輔則治・赤松直頼・平瀬氏
廃城年:不明
遺構:不明
訪城日2014年10月4日

栗尾城は、赤松貞範と範資兄弟の出城として構築され、赤松直頼が居城したという(宍粟郡古城趾)


車止めの柵で、中に侵入出来ない状態です。


栗尾城跡へのアクセス
遺跡ウォーカーが示す位置です。(未登城)

草置城跡

所在地:兵庫県宍粟市一宮町百千家満・草木
築城年:天文7年(1538年)
築城主:田路隠岐守胤純
城主:田路氏
廃城年:不明
遺構:郭跡・模擬櫓・堀切・石碑
訪城日:2014年10月4日

草置城は、繁盛地区百千家満から東へ登りつめた草木の集落へ降る峠の北側にある山頂(600m)に築かれていました。
この城は但馬の国朝来郡田路谷からこの地に移った田路隠岐守胤純が戦国時代の天文7年(1538)はじめて城を築き城主となりました。登り峠から北へ屋根伝いに150mほどの所に木戸口があったと思われます。30m先の山頂には広大な平坦があります。ここに主郭として櫓家などがあり建物が建てられ、南側と北東側には別郭と見られる平坦地の地下には深い堀切りもあり、城北周囲から上岸田方面御形神社も眼下に、全てを播磨国境に近い交通文化の要衝でもありました。  (H18・3繁盛連合自治会)

田路隠岐守胤純は但馬国の高倉城主田路大和守胤直の嫡男で、長水城の広瀬氏の家臣でした。

草置城跡石碑

模擬櫓

五輪塔(城主の墓かな?)

模擬櫓から頂上の展望台へ

主郭

主郭からの展望


草置城跡へのアクセス
国道429号線沿いに案内板があります。

三方城跡

所在地:兵庫県宍粟市一宮町三方
別名:御形城・御形山城
築城年:弘治元年(1555年)
築城主:田路信濃守貞政
城主:田路氏
廃城年:天正8年(1570年)
遺構:大堀切・堅堀・堀切・土塁・郭
訪城日:2014年10月4日

御形城は、草置城主田路胤純の二男貞政が弘治元年(1555年)に築城しました。
天正8年羽柴秀吉に落城され廃城となっています。

三方城跡登城口

ここから登るのですが結構きつそうな傾斜です。

堀切

横堀

出郭

主郭

土塁

大堀切


三方城跡へのアクセス

安積構居跡

所在地:兵庫県宍粟市一宮町安積
別名:安積居館
築城年:不明
築城主:不明
城主:安積氏
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年10月4日

安積構居 安積村 領主ハ安積将監 天正ノ比広瀬宇野幕下『播磨鑑』






安積城跡(未登城)
宍粟50名山の一つ岩谷山(732.6m)の登山ルート途中にある「古城山(こじょうやま)」頂上にあります。
別名、安積瑞泉寺山(あづみずいせんじやま)城ともいいます。安積盛氏が元弘(1331~34)頃に築城したとされています。
アクセスについては、一宮町の安積橋をわたり、伊和高校の横の信号を右折し安積八幡神社に向かい、鳥居をくぐりぬけると広場に出ます。広い敷地の安積木材加工センターが左手に見えます。道の向こうの山麓につづく林道入り口に岩谷山登山口の表示があり、そこから中安積配水池前を通り10分ほど歩くと、次の案内板がありそれに従い、左の杉林に入って行きます。行かれる方は参考までに。

安積構居跡へのアクセス

岡城跡

所在地:兵庫県宍粟市一宮町東市場
別名:安積城・岡山城・宮山城
築城年:明徳3年(1392)
築城主:赤松治部少輔教弘
城主:赤松氏・岡城氏
廃城年:天正8年(1580)
遺構:案内板・堀・郭跡
訪城日:2014年10月4日

岡城は、赤松治部少輔教弘が明徳3年(1392)ここに初めて城を築いたとされ、嘉吉の乱の時一旦落城したものと見られます。その後、天文年中(1532~54)にいたり、岡城豊前守吉政が再びこの地に城を築いて居城としましたが、天正8年(1580)羽柴秀吉によって宇野氏の居城である長水城が攻め落とされた際に、岡城も落城したものと伝えられているお城のようです。

市民の森案内図の配水池へ向かってください。

こちらに駐車出来ます。

登城口(宍粟市50名山の宮山)

防獣柵を開けて中に入ります

登山道の途中から磐座(いわくら)のある尾根に向かいます。

磐座の基部に、伊和神社の社が祀られています。

岩場を登って行きます。

主郭(約40分掛かりました)

岡城案内板

主郭にある石塁?



主郭からの展望



岡城跡へのアクセス
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播磨河内守

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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。