別府構居跡

所在地:加西市別府町中町
別名:別府城
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月29日

城史については詳細不明




別府構居跡へのアクセス
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広原城跡

所在地:兵庫県加西市広原町・佐谷町
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:不明
訪城日:2014年9月29日

城史については詳細不明

居館跡近くのこちらの裏手より登城します。

防獣柵沿いに登って行きます。

主郭と思われる



広原城遠望


居館跡(広原公民館周辺)
詳細不明




広原城跡へのアクセス

妙見山城跡

所在地:兵庫県加西市谷口町・福居町
別名:谷口城
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
遺構:なし
廃城年:不明
訪城日:2014年9月29日

城史については詳細不明です。


少し裏手に吉祥庵があり、右側付近に小さな祠があります。そこから登城出来るようです。


吉祥庵

主郭

頂上の三角点

主郭2


山麓の居館跡に城主の娘の石碑があるようですが判りません。

妙見山城跡へのアクセス




青野城跡

所在地:兵庫県加西市青野町
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:不明
訪城日:2014年9月29日

城史等については詳細不明です。

登城口

蜘蛛の巣と戦いながら一山越えました。正面の頂上が城跡です。

主郭

主郭にある白龍神社


頂上からの景観


青野城跡の南側の青野町集落から登城しました。見つけるのにかなり苦労しましたが、城山登山口の標柱を発見。
城山って言葉を信じて登城してみました。
この城跡に来られる方は下の風景を探してください。ここの奥に登城口があります。


青野城跡へのアクセス

奥村将監屋敷跡

所在地:兵庫県加西市下道山町(磯崎神社)
訪城日:2014年9月18日

礒崎神社の馬場先には忠臣蔵で知られる赤穂藩の重臣、奥野将監の屋敷跡があります。
元禄14年(1701年)3月、江戸城松之大廊下で主君浅野長矩が吉良義央に刃傷におよび、浅野長矩は切腹。赤穂藩は改易となった。奥野将監は事件後、大石内蔵助とともに藩士の取りまとめにあたったが、浅野家再興の望みが絶たれると討ち入り一派から脱盟してしまいました。その後、一女が嫁いでいた加西の下道山の磯崎神社神宮寺秀経に身を寄せて、名も右衛門と改めて新田開発に尽力した。晩年には播磨国多可郡中村の延明寺に移り隠棲したといわれ、その地の糀屋村に奥野のものといわれる墓が存在する。この墓によれば、法号玄徳院節厳禅義居士。この法号は磯崎神社に残る神宮寺過去帳と一致し、これによると1727年(享保12年)5月22日に死去したとある。享年81。







奥野将監屋敷跡へのアクセス
満久交差点を左折し、下道山公会堂を過ぎた分岐を右へ直進してすぐ。

馬渡谷城跡

所在地:兵庫県加西市馬渡谷町
築城年:康永元年(1342)
築城主:内藤左衛門佐盛勝
城主:内藤氏
廃城年:文明4年(1472)
遺構:不明
訪城日:2014年9月15日

内藤内蔵介雅次の子、左衛門佐盛勝が築城しました。俊次、左京進盛次と続きましたが内藤盛次の時、「馬渡谷」という地名が武門とって不吉だという理由で、満久城を築いて移ったと云われている。

残念ながら登城口が判りません。麓にある石打八幡神社に寄ってないので分かりませんがそちらにあるかも?
145号線から撮影




馬渡谷城跡へのアクセス

河内城跡

所在地:兵庫県加西市河内町西谷
別名:別所城
築城年:永暦元年(1160年)頃
築城主:別所刑部六輔頼清
城主:別所氏
遺構:堀切・曲輪・郭・概要図
訪城日:2014年9月15日

赤松氏の祖、季房の孫、頼清は幼名を太郎丸といい、二十歳の栄暦元年(1160)に加茂郡別所村(別所町)に城を築きました。そして地名の別所をとって別所氏を名乗りました。別所頼清は別所氏の祖で、赤松季則の次男である。これが三木別所氏のの始まりとされます。別所城(河内城)は、加西・加東・多可・神崎にわたる二万貫の所領を持つ領主の居城として10代栄えました。嘉吉の乱で一旦は幕を閉じますが、文明3年(1471年)頃に別所小次郎則治が三木に釜山城を築いて移ったという。

六處神社

六處神社社殿

河内城跡登城口

案内図

獣害防御扉を開けて侵入します。
DSC03742.jpg
登城途中にある東屋
DSC03744.jpg
本郭まで来る途中で鹿を見かけました。アッいう間に逃げて行きました。
本郭

城郭概要図


本郭からの景観


河内城跡へのアクセス

満久城跡

所在地:兵庫県加西市満久町
別名:満久構居
築城年:文明4年(1472年)
築城主:内藤左京進盛次
城主:内藤氏
遺構:不明
訪城日:2014年9月15日

満久城(まくじょう)は、現在の兵庫県加西市満久町、別所町、和泉町の三町境界に位置する蛤山(標高196m)にあった山城。築城年代は15世紀後期に遡る。築城者は中世、多可庄の公文(荘園の管理にあたる荘官)であった内藤氏である。確認されている城の遺構は、戦国期のものとされる。山麓には、石垣で囲まれた城主の居館跡がある。現在、城跡の周囲はゴルフ場となっている。
内藤盛次は馬渡谷城主であったが、「馬渡谷」という地名が武門とって不吉だという理由で、満久城を築いて移ったと云われている。

河内城跡から見た満久城跡


満久城跡へのアクセス
ゴルフ場なので立ち入ることは出来ません。

内藤氏屋敷跡

所在地:兵庫県加西市満久町460
築城年:不明
築城主:不明
城主:内藤氏
廃城年:不明
遺構:庭園、石垣、説明板など
訪城日:2014年9月15日

満久城主である内藤氏の屋敷跡です。

説明板





内藤氏屋敷跡へのアクセス

殿原構居跡

所在地:兵庫県加西市殿原町
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日2014年9月15日

殿原構居については詳細不明です。



殿原構居跡へのアクセス
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