清水山城跡

所在地:兵庫県加東市平木
別名:清水寺城
築城年:南北朝時代
築城主:赤松氏範
城主:赤松氏
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月29日


元中3年/至徳3年(1386年)9月2日、摂津中島郡(播磨という説もある)において赤松氏範は南朝として清水寺を城郭化して立て篭もり挙兵したが、幕命を受けた細川頼元や山名氏らの追討を受け、子息ら一族郎党100余名と共に清水寺にて自害した。享年57。遺骸は討伐に従軍していた甥であり惣領の赤松義則によって手厚く葬られた。
終焉の地となった清水寺に氏範らの墓がある。また、同地には「赤松氏範の切腹石」と伝わる大石も存在する。

仁王門

清水寺由緒



根本中堂
推古天皇勅願所。推古35年(627年)に創建されました。本尊十一面観音は開山法道仙人一刀三礼の秘仏となっています。大正2年炎上の際、自ら避難。大正6年再建され、入仏供養が執り行われました。

本坊


清水山城跡へのアクセス
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三草山城跡

所在地:兵庫県加東市上三草
築城年:南北朝時代
築城主:赤松出羽守則友
城主:赤松氏・丹羽氏
廃城年:不明
遺構:案内板・石碑・土塁など
訪城日:2014年9月29日

三草山は播磨平野の北東隅にあり、山麓をはしる街道は、古くから、播磨と丹波を結び京の都への要路でした。
寿永三年二月、平家追討のため、源九郎義経の率いる一万余騎は、丹波小野原の里に布陣し、夜半、民家や山野に火を放ち、三草三里の山中を駆け抜け、一挙に平家の陣に突入しました。三草山の西の山口に陣取る小松三位中将資盛、左中将有盛など平一門七千余騎は、不意の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく、もろくも、屋島をさして敗走していきました。これが世にいう「三草合戦」と、「平家物語」などの伝えるところです。
その後、建武三年、赤松出羽守則定がこの地に山城を築きました。嘉吉元年の騒乱のとき、三草口に赤松方の将宇野能登守国祐が配置され、また、「嘉吉の乱」の後にも、赤松満政、則尚が三草山城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど、三草山にまつわる歴戦の史です。『三草山城跡案内板』より引用

登城口
三草山城跡には、三つの登山コース(三草・鹿野・畑コース)がありますが、一番距離の短い畑コースを選択しました。

三草山案内板

案内図

中間地点の五合目(ここまでで約20分です)

源平古戦場案内板

案内板付近の景観



三草山城跡石碑

主郭(麓から約40分で到着)


主郭からの景観


三草山城跡へのアクセス

家原陣屋跡

所在地:兵庫県加東市家原(夢園温泉)
別名:浅野陣屋
築城年:寛文11年(1671年)
築城主:浅野長賢
城主:浅野氏
廃城年:明治4年(1871年)
遺構:なし
訪城日:2014年9月29日

寛文11年3月5日(1671年4月14日)、浅野長賢は義弟の浅野長友から3500石を分与され家原陣屋を築きました。




家原陣屋跡へのアクセス

沢部城跡

所在地:兵庫県加東市沢部
別名:沢部構居
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月29日

城史については詳細不明です。




沢部城跡へのアクセス

土沢城跡

所在地:兵庫県加東市大畑
築城年:不明
築城主:不明
城主:依藤氏、土肥氏
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月18日

詳細不明ですが、城主は依藤太郎左衛門で豊地城の支城の1つであると考えられています。天正年間は、土肥氏が城主でした。




場所がわからず周辺を彷徨っていると地元の方に声を掛けて頂き土沢城跡の場所を案内してくれました。その方は大畑城と言っていましたよ。

土沢城跡へのアクセス

小沢城跡

所在地:兵庫県加東市小沢
別名:依藤城
築城年:平安時代末期
築城主:依藤豊季
城主:依藤太郎左衛門
廃城年:不明
遺構:空堀、竪堀、土塁、井戸
訪城日:2014年9月18日

1186年(文治2)3月依藤豊季が平家追討の功で播磨東条谷の地頭職になり小沢城を築いたと伝わる。
1577(天正5)に小沢城主の依藤太郎左衛門恒殷が三木城主別所長治に攻められた細川荘の冷泉為勝を救援するも東条町栄の嬉野で共に自刃します。


この獣避け柵を開けて中に入ります。

進んで行くと池が目の前にあります。
DSC03879.jpg
狐に出くわしました

左側の山に入って行くと思うのですが、かなりの藪があって進むのが困難でした。


小沢城跡へのアクセス

念仏城跡

所在地:兵庫県加東市岡本字城山
別名:森田山城
築城年:不明
築城主:不明
城主:田尻氏
廃城年:1580年(天正8年)
遺構:堀
訪城日:2014年9月18日

念仏城は、丘陵に尾根に東西二郭を構成しています。東側が主郭です。南から東にかけて二重の空堀があり、主郭から西郭の通路に虎口を設けています。西郭の西には堀切があり中世山城の遺構を残しています。
清水寺文書には大和守盛実・小次郎盛忠・甲斐守忠行の名が見られ、田尻甲斐守忠行は、三木合戦に別所に与して戦死しています。

ここかな?場所が違うかもです。

立ち入り禁止になってます。

判らなかったので遠望


念仏城跡へのアクセス









田尻氏館跡

所在地:兵庫県加東市岡本(總持院東條閣)
別名:念仏構居
築城年:不明
築城主:不明
城主:田尻氏
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月18日

平時の居館で、戦時は念仏城に入ったみたいです。天正の頃の城主は別所氏の家臣田尻忠行で、1578年の三木合戦の時、羽柴秀吉勢の攻撃を受けて討死したとされる。

總持院

總持院山門



田尻氏館跡へのアクセス

岩屋城跡

所在地:兵庫県加東市森尾
別名:亀山城
築城年:不明
築城主:不明
城主:赤松兵部少輔祐之
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年9月18日

城史については詳細不明。
東西に分かれて二城あったみたいです。東の城は工場地帯で山ごと削られ、西の城には、現在雇用促進住宅が建っています。


西の城


岩屋城跡へのアクセス

片山城跡

所在地:兵庫県加東市岡本
築城年:不明
築城主:不明
城主:不明
廃城年:不明
訪城日:2014年9月18日

城史等については詳細不明です。

麓の碩安寺

本堂

碩安寺の裏手の道を進むと突き当たりに車止めの柵があります。その手前に登城口があります。



主郭

主郭にある稲荷神社



片山城跡へのアクセス
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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。