柏尾山城跡

所在地:兵庫県神崎郡神河町東柏尾
別名:大嶽城
築城年:永禄年間(1558~1570)
築城主:栗田宇右衛門尉
城主:粟生田氏
廃城年:天正6年(1578)
遺構:なし
訪城日:2015年5月02日

柏尾山城は永禄年間(1558~70)の構築ではないかと推定され特長のある「畝形阻塞」の名残りをとどめている。粟生田氏(赤松家臣)の居城で「赤松家播備作城記」によると天正六年(1578)羽柴秀吉の播磨攻略によって落城とある。
『柏尾山城跡案内板』より

登城口は薬王子神社、桜華園からと法性寺から山頂へ行けます。比較的楽なのは桜華園からかと思います。

法性寺から登ってみました。

しばらく登って行くと獣害防護柵があります。

結構きつい斜面です。赤いテープを頼りに登って行きました。

約40~50分でこの合流地点に着くと思います。

主郭にあたる鉄塔


石垣かな?




柏尾山城跡へのアクセス
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高峰城

所在地:兵庫県神崎郡神河町粟賀字城山
別名:粟賀城
築城年:不明
築城主:伊豆孫四郎祐国
城主:伊豆氏
廃城年:天正7年(1579)
遺構:なし
訪城日:2015年5月02日

赤松氏の一族、伊豆孫四郎祐国の居城で永正年間の合戦で武功を立てて、このあたり一帯を統治していた。

慈増寺の奥に進みますと小さな沢があるのですが、そこの向こう岸に渡ってしばらく奥に進みます。うまくいけば15分程度で頂上に到達できます。

ここから登城してみます。

直登ぎみに登って行きます。

登るのもきつくなってきて周りはシダだらけで進むことが困難になってきたので断念します。登るとこ間違えたかな・・・


高峰城跡へのアクセス

中村構居跡

所在地:兵庫県神崎郡神河町中村
別名:なし
築城年:不明
築城主:伊豆孫四郎祐国
城主:伊豆氏
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2015年5月02日

中村構(慈増寺)についての城史については詳細不明ですが、南側の城山にある高峰城 (粟賀城)の城主の居館だったかと思われます。『播磨鑑』によれば、高峰城の城主は赤松家の一族、伊豆孫四郎祐国であったとされている。





中村構跡へのアクセス

春日山城跡

所在地:兵庫県神崎郡福崎町八千種
別名:なし
築城年:建武年間(1334~38)
築城主:後藤三郎左衛門尉基明
城主:後藤氏
廃城年:天正六年(1578)
遺構:説明板、貯蔵庫、郭、
訪城日:2014年11月12日

春日山城は、建武年間に築城され、播磨の守護赤松氏の幕下であった後藤三郎左衛門尉基明が初代城主として、現在の福崎町全域と姫路市、加西市の一部を統治していました。
応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣し、山名の軍勢を破って軍功を立てました。
天正六年(1578)9代目後藤伊勢守基信の時に、中国征伐に向かう羽柴秀吉によって城は攻め落とされました。落城してから長い年月を経た今日、城跡が残るのみです。
『春日山城跡案内板』より

春日山城跡の麓にある春日山キャンプ場

登城途中の案内板

主郭

春日山城跡説明板

主郭には食料貯蔵庫の穴があります。

主郭からの展望


標高198mの山で頂上までは15分ぐらいで行けると思います。

春日山城跡へのアクセス

寺前城跡

所在地:兵庫県神崎郡神河町寺前
別名:城山城
築城年:室町時代
築城主:不明
城主:本郷伊豆守・小寺氏・伊豆氏
廃城年:不明
遺構:
訪城日:2014年11月12日

寺前城は最明寺の裏山にあります。城史については詳細不明ですが、城主は赤松氏の幕下の本郷伊豆守と伝えられます。嘉吉の乱時、山名氏に攻められ(寺前の戦い)落城します。小寺氏の居城となります。その後は、伊豆孫四郎の管轄となります。

麓にある最明寺

最明寺由緒

最明寺本殿

登城口

主郭

主郭にある城跡標示柱

堀切


寺前城跡へのアクセス

福本藩陣屋跡

所在地:兵庫県神崎郡神河町福本
別名:
築城年:寛文3年
築城主:池田政直
城主:池田氏
廃城年:明治3年(1870年)
遺構:庭園、土塁、石垣、案内板
訪城日:2014年11月12日

福本藩池田家の創始は、寛文3年(1663年)池田政直から。明治3年(1870年)8代徳潤時代の廃藩置県まで206年間にわたり続きました。
この陣屋跡は神崎郡北部の政治の中心だった所です。
福本藩は小藩であったため陣屋形式で、現在の大歳神社全体が藩邸跡で、社殿のところに藩主御殿がありました。
月見燈篭が浮かぶこの庭園は元禄年間に描かれた絵図面どおりに現存する庭園として貴重なものです。
庭園の様式は池泉回遊式庭園と呼ばれ池泉の規模や深さなどから考えて舟遊式であり、園池には蓬莱島を置き武運長久を祈る大名庭園としての特徴があります。


福本藩陣屋跡説明板

社殿(藩主御殿跡)

庭園

武家屋敷跡

武家屋敷跡案内板


福本藩陣屋跡へのアクセス

御室構跡

所在地:兵庫県神崎郡市川町上瀬加御室
別名:御室城・瀬加構
築城年:大田氏
築城主:大田氏
城主:大田氏
廃城年:不明
遺構:なし
訪城日:2014年11月12日

「赤松家播備作城記」には文明元年(1469)赤松氏一族の太田筑後守が居城し、 同筑後守入道・道祖法師・源太郎と4代続いたとされます。また「播磨鑑」によれば永禄年間(1558-70)太田道祖が初代構主となっており、少し記述が違っています。





御室構跡へのアクセス

加瀬山城跡

所在地:兵庫県神崎郡市川町下加瀬
別名:
築城年:嘉吉年間(1441年~43年)
築城主:太田道祖
城主:大田氏
廃城年:天正5年(1577)
遺構:
訪城日:2014年11月12日


上瀬加戸安集落の北側の山頂に「瀬加山城」と呼ばれる城跡があります。この城は赤松氏の一族、太田道祖とその息子源太夫が居城していたと伝えられています。太田氏は瀬加の庄と蔭山の庄を領有して勢力を誇っていましたが、置塩城の赤松氏の没落とともに衰退していったようです。その城跡に今は稲荷神社が鎮座しています。

登城口

堀切1

主郭

主郭にある城跡石碑

堀切2


加瀬山城跡へのアクセス



供御構跡(くごの構)

所在地:兵庫県神崎郡市川町下加瀬
別名:
築城年:室町時代後期
築城主:大田氏?
城主:大田氏?
廃城年:天正5年(1577)加瀬山城と同時期に落城か?
遺構:
訪城日:2014年11月12日

くごの構については詳細不明です。






くごの構跡へのアクセス

鶴居城跡

所在地:兵庫県神崎郡市川町鶴居
別名:城山城・稲荷山城
築城年:南北朝時代後半
築城主:永良三郎則綱
城主:永良氏
廃城年:永禄年間(1558~70)
遺構:
訪城日:2014年11月12日

稲荷山城は標高433メートル稲荷山山頂にあり、東西14メートル南北31メートル周囲約85メートル。その北側、南側にはいくつもの平坦地、石積跡・土留めなども見られます。古老の話では井戸もあったそうです。
城は南北朝後半、赤松則村(円心)の孫、永良三郎則綱がここに城を築き居城としたのが始まりで、その子・孫と受け継ぎ播磨の北の要地とされていました。
赤松氏は嘉吉の乱(1441)のあと但馬の山名持豊の兵4500騎に生野峠から攻め込まれ、大山口・田原の戦いに敗れ、長久二年(1488)赤松政則が播磨をとりかえすまでの45年の間、山名氏の支配のもとにおかれました。
その後、赤松政則は応仁の乱中に失地を回復し守護となったので稲荷山城も復興し、広瀬近江守雅親が城主となり、谷城主も兼ねていましたが、永禄三年(1560)討死したと言われています。
同じく谷城は、永禄のころ(1558~1570)戦火により消失廃城とあり、両城とも同じ運命を辿ったと考えられます。
『鶴居城跡案内板』より

登城口(南コース)

曲輪


曲輪

石垣1

石垣2

主郭

主郭には何故かブランコがあります。

主郭からの展望


鶴居城跡へのアクセス
登山道は、南コースと北コースの2箇所あります。距離は少し長いですが北コースの方が楽そうです。
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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。