綾井城跡

所在地:大阪府高石市綾園2-2(専称寺)
別名:
築城年:鎌倉時代
築城主:田代顕綱
廃城年:不明
主な城主:田代顕綱・綾井氏・沼間氏
遺構:堀・土塁
指定文化財:なし
訪城日:2018年10月29日(日)晴
駐車場:参拝駐車場


綾井城は鎌倉時代後期の築城で南北朝時代には田代顕綱の居城であった。顕綱は足利直義方に属し活躍。のち足利尊氏に帰順する。その後は岸和田城主和田義明の弟、綾井伝内の居城だったとされています。また、戦国時代には応仁年間(1467-1469)に築城したとされる沼間清成が居城。沼間清成の嫡子越後守義清は織田信長に仕えた。そして、天正四年七月、大坂木津川口において織田軍と毛利水軍との合戦で討死した。この越後守の子息主膳興清は、父の跡を継いで綾井城に居城し七千石を領し、中村一氏の与力となった。のちの関ヶ原の合戦にも一氏に属し功を挙げている。子孫は江戸幕府の旗本ととして活躍しました。





綾井城跡説明石板
高石市の綾井城は鎌倉期の城で南北朝の頃は足利方に属し、戦国期の城主沼間日向守任世は信長のもとで活躍しました。天文十三年(一五四四)、その城跡に建立されたのが専稱寺です。元禄期に建立された本堂を中心に濠を配した寺域は、中世の武士の居館の姿を今に伝えています。天文年間、安芸厳島神社に「橋弁慶」の絵馬二面を奉納した綾井定友は綾井出身の堺商人だったと言われます。 



堀跡

堀跡


綾井城跡へのアクセス
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土丸城跡

所在地: 大阪府泉佐野市土丸
別名:槌丸城
築城年:貞和三年(1347年)
築城主:日根野氏
廃城:元和三年(1617年)
主な城主:日根野氏・楠氏・畠山氏・山名氏他
遺構:本丸跡・説明板
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2018年10月29日(月)晴
所要時間:雨山城より城跡まで約15分 
駐車場:雨山城駐車場

土丸城は、別名槌丸城とも雨山城の一部三の丸とも言われています。貞和三年(1347年)に北朝方の日根野盛治が築いたとされています。文和元年(1452年)南朝方に攻められ翌年二年には没落し日根野氏は城を捨てています。
永和四年(1378年)橋本正高、和田正武らは土丸城跡に拠り、北朝軍を迎え撃ったが城を捨てて吉野に逃れます。しかし翌五年にふたたび土丸城に拠りますが山名氏清の大軍に攻められ落城します。
永徳二年(1382年)には楠正勝は拠り、山名義理と戦ったが敗れて城を捨て去り山名氏清の兵が入っています。
明徳2年(1391年)山名氏清は足利義光と戦い、一色範詮に討たれます。
文明十六年畠山政長は畠山義就と土丸城で戦い、この時日根野景盛が土丸城を守ったという。
元和三年(1617年)城は破却されます。『日本城郭大系12より』


主郭

主郭にある龍王神社

土丸城由来

顕彰碑



景観




土丸城跡へのアクセス
雨山城跡より尾根伝いに行く方法と府道62号線新前川橋手前を北側に100mほど進んだ右手に登山道があります。
駐車場がないので雨山城から登城するほうがいいかと思います。
         
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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。