千早城跡
所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早
別名:楠木詰城、金剛山城、千早の詰め城、千早のかくれ城
築城年:元弘2年/正慶元年(1332年)
築城主:楠木正成
廃城年:明徳3年(1392年)
主な城主:楠木氏
遺構:曲輪、空堀
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2019年8月13日(火)晴
駐車場:金剛登山口周辺に有料駐車場有り
名城スタンプ設置場所:金剛山麓 まつまさ
概要
千早城は、楠木正成が討幕再挙のため、楠木城とともに築城した山城。建武中興前後の歴史を語り伝える遺跡として重要であることから、1934年(昭和9年)の建武中興600年を機に、上・下赤阪城跡、金剛寺境内、観心寺境内などとともに国の史跡に指定された。1132年(元弘2年)に楠木正成が再起すべく築城した周囲4kmにも足らぬ小城であるが、翌年にはわずか1000人の小勢で鎌倉北条氏の大軍を引き受け、奇策を用い大いに敵を悩ませた。四方が千早川の深い谷に囲まれ、城の背後の小径によって金剛山頂につながる天然の要害の地に立地する。尾根筋を地形に合わせて5つの郭(くるわ)に分け、空堀や堀切りも設けられていた。頂上には千早城跡の銅標が建てられ、西南北の傾斜がきつい所に千早神社の社殿、東方に楠木正儀(まさのり)の墓といわれる五輪塔がある。
千早城跡登城口



石碑 「楠公之功與此山倶高」と書いてあります

四の丸

四の丸

四の丸

三の丸に続く道

三の丸

三の丸に建つ城跡碑

三の丸

二の丸にある千早神社

千早神社本殿の裏の丘の上が本丸跡になりますが、立ち入り禁止となっています。
千早城跡へのアクセス
別名:楠木詰城、金剛山城、千早の詰め城、千早のかくれ城
築城年:元弘2年/正慶元年(1332年)
築城主:楠木正成
廃城年:明徳3年(1392年)
主な城主:楠木氏
遺構:曲輪、空堀
指定文化財:国指定史跡
訪城日:2019年8月13日(火)晴
駐車場:金剛登山口周辺に有料駐車場有り
名城スタンプ設置場所:金剛山麓 まつまさ
概要
千早城は、楠木正成が討幕再挙のため、楠木城とともに築城した山城。建武中興前後の歴史を語り伝える遺跡として重要であることから、1934年(昭和9年)の建武中興600年を機に、上・下赤阪城跡、金剛寺境内、観心寺境内などとともに国の史跡に指定された。1132年(元弘2年)に楠木正成が再起すべく築城した周囲4kmにも足らぬ小城であるが、翌年にはわずか1000人の小勢で鎌倉北条氏の大軍を引き受け、奇策を用い大いに敵を悩ませた。四方が千早川の深い谷に囲まれ、城の背後の小径によって金剛山頂につながる天然の要害の地に立地する。尾根筋を地形に合わせて5つの郭(くるわ)に分け、空堀や堀切りも設けられていた。頂上には千早城跡の銅標が建てられ、西南北の傾斜がきつい所に千早神社の社殿、東方に楠木正儀(まさのり)の墓といわれる五輪塔がある。
千早城跡登城口



石碑 「楠公之功與此山倶高」と書いてあります

四の丸

四の丸

四の丸

三の丸に続く道

三の丸

三の丸に建つ城跡碑

三の丸

二の丸にある千早神社

千早神社本殿の裏の丘の上が本丸跡になりますが、立ち入り禁止となっています。
千早城跡へのアクセス
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