香山城跡
所在地:兵庫県たつの市新宮町
築城年:建武年間(1334~38年)
築城主:香山備後守秀清
城郭構造:山城
訪城日:2014年4月13日
香山氏の系図によれば、元暦元年(1184年)に但馬朝来郡の八木重秀の子秀信が一の谷の戦いの功によって香山荘地頭職を得てここに移り住み香山と名乗ったみたいです。秀信の四代後の備後守秀清が赤松円心に属し、建武年間に大歳神社裏山の中腹に香山城を築いた。その後、数代続き、飛騨守秀光は嘉吉の乱の明石和坂の戦いで討死し、その子秀氏が嘉吉の乱以降、廃城となっていた香山城を修復して居城したといいます。
天正8年(1580年)4月、香山城は、秀吉軍の攻撃で落城し最後の城主備後守秀明は逃れて長水城に入ったが、敗れて戦死した。

大歳神社社殿

香山城案内板

香山城北郭入り口

このような石垣がいたるところにあります。


削平地

池跡(結構深いです3メートル近くあると思います。)

主郭

香山城南郭案内板

香山城南郭

香山城跡へのアクセス
築城年:建武年間(1334~38年)
築城主:香山備後守秀清
城郭構造:山城
訪城日:2014年4月13日
香山氏の系図によれば、元暦元年(1184年)に但馬朝来郡の八木重秀の子秀信が一の谷の戦いの功によって香山荘地頭職を得てここに移り住み香山と名乗ったみたいです。秀信の四代後の備後守秀清が赤松円心に属し、建武年間に大歳神社裏山の中腹に香山城を築いた。その後、数代続き、飛騨守秀光は嘉吉の乱の明石和坂の戦いで討死し、その子秀氏が嘉吉の乱以降、廃城となっていた香山城を修復して居城したといいます。
天正8年(1580年)4月、香山城は、秀吉軍の攻撃で落城し最後の城主備後守秀明は逃れて長水城に入ったが、敗れて戦死した。

大歳神社社殿

香山城案内板

香山城北郭入り口

このような石垣がいたるところにあります。


削平地

池跡(結構深いです3メートル近くあると思います。)

主郭

香山城南郭案内板

香山城南郭

香山城跡へのアクセス
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このエントリーのカテゴリ : たつの市・揖保郡