小谷城跡

所在地:大阪府堺市南区豊田1602-1
別名:鼎の城
築城年:寛喜3年(1231年)
築城主: 上神(小谷)四郎政有
城主:小谷氏
廃城年:天正三年(1575)
遺構:案内板、城跡碑
訪城日:2015年7月28日

小谷城は十三世紀中頃(鎌倉時代)に、標高80メートルの泉北丘陵高台の自然の地形を利用し築城され、栂山城(現在の原山台)豊田城(現在の泉北高校)と共に鼎城といわれ、平氏一族の小谷氏の居城でした。
南北朝時代には前方千早城からのろし火を受けて、南朝の浜寺大雄寺に通信を送る中継所として重要な役割を果たしましたが、戦国時代に入り一帯が根来党であったため、織田信長の根来攻めにより天正三年(1575)に落城しました。
平成十二年(2000)錦秀会がこの地を取得し、地域医療・高齢者介護の為に阪和第一泉北病院を開設した後もその歴史的価値を尊重し、小谷城址を残すことといたしました。そして当病院に入院され、医療の手当ての甲斐なく病没された方々や水子の霊や、この地域の古墳や無縁の霊等のご冥福を祈り、併せて入院患者の方や地域住民の方々のご守護を頂きますように願って、お堂を建立いたしました。 『小谷城跡案内板』より

本丸跡

小谷城跡案内板

城跡碑

景観


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