国府城跡

所在地:三重県志摩市阿児町国府 
別名:なし
築城年:室町時代後期
築城主:三浦新介
廃城年:不明
主な城主:三浦氏
遺構:説明板
指定文化財:なし
訪城日:2019年4月28日(日)晴
駐車場:なし

概要
城主は、三浦新介で鎌倉時代後期三浦一族が滅ぼされた頃、うつろ船に乗せられて国府海岸に流れ着き、土着して城主となったというが日本城郭大系10では、『時代的に誤差があり、あまりにも伝説的である。しかし室町時代後期に三浦氏がここに城を築き隣郷の三か所を有し北畠氏の家臣として志摩十三地頭の一人であったことは確かである。」としている。
三浦新介は永禄年間(1558年~1570年)九鬼嘉隆によって滅ぼされ、新助は九鬼氏の家臣になるのを嫌い飛騨国へ逃れたとも伝えられているがその後の消息は全く分からない。『日本城郭大系10参照』



この山上が国府城主三浦新介の城址である。三浦新介の父は鎌倉時代伊豆相模の国司従四位下義同で新介はその末子、故あって「うつろ船」に乗せられ、海に流され、国府岩本海岸に漂着わが祖先武右衛門国分寺住職に助けられ後伊勢国司北畠氏より国府城主を命ぜられた。今は三浦新介が崇拝していた稲荷大明神をお祀りしている。

三浦稲荷大明神由来記
ここにお祭りしている三浦稲荷大明神は、元伊豆相模の国司三浦家において代々お祭りしていたものを、永正十三年(1516)三浦新介が国府の地に来りしとき、家運の継栄と、住民の幸運祈念のため、持参奉祀したものであるといわれている。三浦新介は、伊勢国国司北畠氏より、国府城主を命ぜられ、この丘に築城、周辺七か村を治めていたが、永禄十三年(1570)九鬼喜隆志摩国を制覇するに及び廃城となった。その後この大明神は当時の家老井村武右衛門を始め、井村家代々に引き継がれ丁重にお祭りされて来たもので特に創祀六百年祭には、井村武四吉が本堂の改新築を行い現在に至っている。誠に御利益高評の大明神として参詣者があとを絶たない。

三浦稲荷大明神







主郭

景観


国府城跡へのアクセス
近くには国府城主の墓があります。
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