三日月陣屋跡
所在地:兵庫県佐用郡佐用町乃井野966番地
別名:乃井野陣屋
築城年:1697年(元禄10年)
築城主:森長俊
廃城年:1871年
主な城主:森家
遺構:郭跡、石垣、水堀、移築物見櫓、復元長屋・門
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:なし
概要
1697年(元禄10年)に美作津山藩森家は無嗣断絶となった。ただし、幕府は長継に新たに備中西江原藩2万石を与えることで、森氏の存続を許した(のちに播磨国赤穂藩)。その分家であった美作津山新田藩主森長俊は、播磨国佐用郡、揖西郡、宍粟郡65ヶ村1万5千石に領地替えされた。
翌1698年(元禄11年)に長俊は領地入りし、藩庁の陣屋と家臣屋敷の建設に着手した。その候補地が乃井野村であり、三日月陣屋である。1700年(元禄13年)にはほぼ完成した。以後森家は9代続き、俊滋の時明治維新を迎えている。戊辰戦争では官軍に付いて参戦している。
1871年(明治4年)の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体された。その中で物見櫓と長屋は小学校に移築され、公民館として使用されていた。西法寺山門に陣屋正門として移築されている。
2003年(平成15年)、原位置に戻されて整備されている。




物見櫓内部

物見櫓からの風景


陣屋屋敷の跡

水堀

登城記念パネル

中御門

水堀

列祖神社

説明版

列祖神社内にある庭園跡

力石

日岡八幡神社

三方里山演武場

三方里山演武場の石垣

三方里山演武場からの景観

三日月陣屋跡へのアクセス
別名:乃井野陣屋
築城年:1697年(元禄10年)
築城主:森長俊
廃城年:1871年
主な城主:森家
遺構:郭跡、石垣、水堀、移築物見櫓、復元長屋・門
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:なし
概要
1697年(元禄10年)に美作津山藩森家は無嗣断絶となった。ただし、幕府は長継に新たに備中西江原藩2万石を与えることで、森氏の存続を許した(のちに播磨国赤穂藩)。その分家であった美作津山新田藩主森長俊は、播磨国佐用郡、揖西郡、宍粟郡65ヶ村1万5千石に領地替えされた。
翌1698年(元禄11年)に長俊は領地入りし、藩庁の陣屋と家臣屋敷の建設に着手した。その候補地が乃井野村であり、三日月陣屋である。1700年(元禄13年)にはほぼ完成した。以後森家は9代続き、俊滋の時明治維新を迎えている。戊辰戦争では官軍に付いて参戦している。
1871年(明治4年)の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体された。その中で物見櫓と長屋は小学校に移築され、公民館として使用されていた。西法寺山門に陣屋正門として移築されている。
2003年(平成15年)、原位置に戻されて整備されている。




物見櫓内部

物見櫓からの風景


陣屋屋敷の跡

水堀

登城記念パネル

中御門

水堀

列祖神社

説明版

列祖神社内にある庭園跡

力石

日岡八幡神社

三方里山演武場

三方里山演武場の石垣

三方里山演武場からの景観

三日月陣屋跡へのアクセス
スポンサーサイト
このエントリーのカテゴリ : 宍粟市・佐用郡