魚崎構居跡

所在地:兵庫県高砂市竜山
築城年:室町時代
築城主:和木田兵庫介綱忠
主な城主:和木田綱忠・位田長兵衛
廃城年:不明
遺構:なし
駐車場:あり
訪城日:2012年12月29日

魚崎構居があった竜山は古代から砕石場である。主郭は頂上部に削平地があるのみである。削平地からは付近全域を一望することができる。
城主は嘉吉元年(1441)には和木田兵庫介綱忠であったが、その後は天正六年(1578)には志方の属城として放棄されるまでは位田(依田)長兵衛が構主であったという。 (日本城郭大系12巻より)
位田長兵衛天正の頃に領す。志方の幕下也(印南郡誌)
石の宝殿の戦い
三木城に陣取った秀吉の下には新しい領主へ従うという者が数多く詰め掛けた。ところが石の宝殿(生石神社)は所領を没収されながらも従わなかった。石の宝殿の社人は神吉城主神吉頼定の弟で東村氏を名乗り勇敢だったという。秀吉の神吉城攻めの折、ここに陣地を築きたいと申し入れたが断られた経緯があり、秀吉は「一番に石の宝殿を悉く焼き払え』と弟秀長を大将に一千余騎が攻めた。麓には家老の布村左金吾ら多くの城兵が住んでいたが秀吉勢は四方に火を掛け一気に攻め不意を付かれた城兵は逃げ散った。風に煽られた火は宮殿などすべてを焼き尽くしたという。(別所一族の興亡より)

加茂御祖(かもみおや)神社

空鉢塚と芭蕉句碑

登城途中にある観濤處(かんとうしょ)

観濤處(かんとうしょ)説明碑

頂上の主郭部

特に案内板、城跡碑等なく削平地があるくらいです。

魚崎構居跡へのアクセス
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2017年3月よりEOS M5で撮影しています。