長谷高山城
所在地:兵庫県佐用郡佐用町横坂
別名:鴻の山城,尼ヶ城
築城年:建久8年(1197年)
築城主:山田則景
廃城年:不明
主な城主:山田則景、山田将則、山田光広、尼子 勝久
遺構:曲輪、土塁、石垣、空堀
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:防獣柵を開けた所にあります
概要
建久8年(1197年)山田則景によって築かれたと云われる。その子家範は、赤松村に移り住み赤松姓を名乗ったが家範から四代目が赤松則村(円心)である。高山城は、則景~将則~光広と続き、三代にして絶えた。天正5年(1577年)に尼子勝久がこの長谷高山城に籠もったことから、「尼ヶ城」の別称が付いた。

登城道(左側の送りを目印に登ってください)

鐘搗堂跡手前

堀切

鐘搗堂跡

鐘搗堂説明版

景観

堀切





主郭

主郭にある説明版

主郭から利神城を望む

注:石積等があるようですが残念ながら探しきれませでした。
長谷高山城跡へのアクセス
中国自動車道手前の国道373号線から県道547号線に入り約100m進むと左手に高速道を横切る道があり、坊獣柵がります。その奥に車を止めれます。
別名:鴻の山城,尼ヶ城
築城年:建久8年(1197年)
築城主:山田則景
廃城年:不明
主な城主:山田則景、山田将則、山田光広、尼子 勝久
遺構:曲輪、土塁、石垣、空堀
指定文化財:なし
訪城日:2019年5月3日(金)晴
駐車場:防獣柵を開けた所にあります
概要
建久8年(1197年)山田則景によって築かれたと云われる。その子家範は、赤松村に移り住み赤松姓を名乗ったが家範から四代目が赤松則村(円心)である。高山城は、則景~将則~光広と続き、三代にして絶えた。天正5年(1577年)に尼子勝久がこの長谷高山城に籠もったことから、「尼ヶ城」の別称が付いた。

登城道(左側の送りを目印に登ってください)

鐘搗堂跡手前

堀切

鐘搗堂跡

鐘搗堂説明版

景観

堀切





主郭

主郭にある説明版

主郭から利神城を望む

注:石積等があるようですが残念ながら探しきれませでした。
長谷高山城跡へのアクセス
中国自動車道手前の国道373号線から県道547号線に入り約100m進むと左手に高速道を横切る道があり、坊獣柵がります。その奥に車を止めれます。
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このエントリーのカテゴリ : 宍粟市・佐用郡