櫛田城跡
所在地:兵庫県佐用郡上月町櫛田
別名:宮山城
築城年:建長年間(1249~55年)
築城主:櫛田八郎有景
廃城年:不明
主な城主:櫛田氏
遺構:本丸、曲輪、空堀
指定文化財:なし
訪城日:2020年5月10日(土)晴
駐車場:櫛田公民館
櫛田城は、標高130mにあり三町の一部を整地して八幡神社が建立されています。この八幡神社にちなんで「宮山城」の別名が生まれました。城は、建長年間(1249~55年)、永田山城主得平三郎頼景の次男有景(一説には頼景の子源太兼則の三男有景とある。)により築かれ、地名の櫛田をとって、櫛田八郎有景と名乗りました。以降相続されましたが、7代目の有兼の時、嘉吉の乱に遭い、山名氏に滅ぼされました。寛正6年(1465年)再び櫛田氏の子孫がこの城に入りましたが、天正5年(1577年)城主は、櫛田佐馬助頼久(景則)であったが、羽柴秀吉軍が柏原城(徳久城)攻撃の際、救援に向かう途中戦死しています。
『日本城郭大系12より抜粋』
ここから登城します


登城口にある鉄格子



郭跡にある八幡神社

こちら側から本丸跡に向かいます

二の丸

堀切

土塁

本丸跡

本丸跡

堀切

櫛田城跡へのアクセス
左側の坂を登ります
別名:宮山城
築城年:建長年間(1249~55年)
築城主:櫛田八郎有景
廃城年:不明
主な城主:櫛田氏
遺構:本丸、曲輪、空堀
指定文化財:なし
訪城日:2020年5月10日(土)晴
駐車場:櫛田公民館
櫛田城は、標高130mにあり三町の一部を整地して八幡神社が建立されています。この八幡神社にちなんで「宮山城」の別名が生まれました。城は、建長年間(1249~55年)、永田山城主得平三郎頼景の次男有景(一説には頼景の子源太兼則の三男有景とある。)により築かれ、地名の櫛田をとって、櫛田八郎有景と名乗りました。以降相続されましたが、7代目の有兼の時、嘉吉の乱に遭い、山名氏に滅ぼされました。寛正6年(1465年)再び櫛田氏の子孫がこの城に入りましたが、天正5年(1577年)城主は、櫛田佐馬助頼久(景則)であったが、羽柴秀吉軍が柏原城(徳久城)攻撃の際、救援に向かう途中戦死しています。
『日本城郭大系12より抜粋』
ここから登城します


登城口にある鉄格子



郭跡にある八幡神社

こちら側から本丸跡に向かいます

二の丸

堀切

土塁

本丸跡

本丸跡

堀切

櫛田城跡へのアクセス
左側の坂を登ります
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このエントリーのカテゴリ : 宍粟市・佐用郡